同性愛者という概念が誕生したのは100年ほど前と言われていますが、それ以前にもいわゆる同性愛は存在していました。今回は日本の歴史に目を向けてみようと思います。

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男色という文化

まず初めに、同性愛といっても昔は女性の地位が高くなかったため、女性同性愛の記述は基本的に残っていません。そのため今回の記事も男性同士についてとなります。

男色とは男性同性愛を表す言葉で、同性間性交渉は男色行為と呼ばれます。ただし、男色行為は基本的に成人男性と少年の間で行われています。

日本において男色行為は古くから行われていたとされています。
法律で同性間性交渉を禁止するものは特になく、公然と行われていたようです。織田信長や足利義満、武田信玄など歴史上有名な武将も男色行為をしていたそうです。

男色行為の理由として最も多く説明されるのが、女性禁制の環境があったからと言われます。女性がいない環境での生活や、女性との性交渉を禁止されている中で、少年と性交渉をすることで欲求の解消をしたと言われています。

日本以外での男色と衰退

男色行為は歴史的に海外でも行われていました。古代ギリシアや『テルマエ・ロマエ』の舞台古代ローマでも少年愛として存在したようです。

ヨーロッパでは、子どもというのは男女に分化する前の存在であり、成人男性が少年に対して抱く欲求を同性愛と捉えていなかった、という見方もあるようです。

しかし、これらヨーロッパ地域で段々と男色行為は廃れていきました。その理由が、キリスト教の浸透です。

伝統的なキリスト教の考えでは、同性間性交渉を罪とみなされています。そのため、キリスト教がヨーロッパ全域に広まって以降は、少年愛は徐々に廃れていきました。
日本も、キリスト教の考えが入ってくるにつれて、段々と男色行為に対する罪の意識が芽生えていったようです。

男色=同性愛?

上でも何か所か同性愛という記述をしましたが、私は男色や少年愛を同性愛とはあまり考えていません。というのは、性的欲求を満たす性交渉と、好きになる、愛情を抱くというのは別物として考える必要があるからです。

実際に男色を行っていた多くの武士は女性と結婚し、子どもを授かっています。彼らは確かに性交渉の相手として同性の少年を見てはいましたが、そこに愛情や結婚とのつながりがあったのかどうかは分かりません(好きな相手と結婚するというのも最近の概念ですが)。

そのため、武士やローマ皇帝がゲイ、またはバイセクシュアルである、と言い切ってしまうのは難しいと思います。
しかし歴史的に見て日本は同性間の愛情や性交渉について厳格ではなかったということですね。

参考
Wikipedia男色
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E8%89%B2
Wikipedia日本における同性愛https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B